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オオサカガーデンシティは、西梅田地区における再開発事業によって創出された街の愛称です。
西梅田地区の開発は、昭和56年に、大阪駅ターミナル問題懇談会において、「西梅田地区は、西日本最大の交通の要衝にある地区の特性を活かした経済・文化・国際・情報性の強化に資する拠点的な施設の立地誘導が望ましい。」との答申が出されたことに始まっています。
当時の西梅田地区は、昭和30年代の終わりごろから取扱量が減少していた旧国鉄梅田貨物南ヤードを中心とする大阪都心部の中心に残された貴重な未開発の空間であり、JR東西線や大阪駅前ダイヤモンド地下街「ディアモール大阪」などの大規模なプロジェクトの進行と相まって、21世紀を展望する大阪の拠点としての役割が高まっていました。
さらに、新たに浮上してきた梅田北地区の貨物駅跡再開発を含めて、将来想定される、大阪駅を中心とした歩行者回廊の一角を成すとともに、ウォーターフロントのシンボルである中之島地区、ならびに福島方面への歩行動線など、多面的な顔を持つ街づくりが望まれていました。
この答申を受けて、まず、昭和60年6月に、西梅田地区の地権者6社(日本国有鉄道、雪印乳業、阪神電気鉄道、阪神高速道路公団、阪神不動産及びホテル阪神)と大阪市によって西梅田土地区画整理組合が設立され、西梅田地区の基盤整備として、阪神高速道路梅田ランプの移設、地区を東西に貫く幅員22メートルの都市計画道路西梅田線とこれに連絡する区画道路、および西梅田公園の整備が進められました。
続いて、昭和62年8月に、土地区画整理事業の関係地権者(日本国有鉄道、雪印乳業、阪神電気鉄道及び毎日新聞社)と大阪市を中心として西梅田地区開発協議会が発足し、西梅田地区に再開発地区計画制度を導入して、文化・国際・情報の都市機能の強化、ならびに緑豊かな良好な都市環境整備を目標として、ビジネス、宿泊、商業、文化等の複合機能を持った都会的で魅力に富んだ空間を形成するとともに、オープンスペースの確保に努め、緑豊かな街づくりを進めることになりました。
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事業着手手前の施工地区とその周辺 |
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オオサカガーデンシティのビル建設は、まず、毎日新聞社が大阪本社ビルを、平成4年11月に、西梅田地区の文化・情報の拠点を担う新社屋として建設しました。続いて、平成9年3月に、阪神電気鉄道が、「グローバル・ビジネス・コンプレックスの創造」をコンセプトとし、ザ・リッツ・カールトン大阪などが入居する「ハービスOSAKA」を、また雪印西梅田開発が、西梅田公園の西側に隣接し、「21世紀に向けた心豊かな生活空間の創設」をコンセプトとする飲食・文化施設の複合ビルを、それぞれ建設しました。
国鉄清算事業団の所有地については、建物提案方式により処分されることとなり、東側ブロックは、大和ハウス工業の本社ビル、大阪モード学園・コンピュータ総合学園HAL、ハートンホテル西梅田が建設されることとなり、平成11年3月に完成、西ブロックは、安田生命保険・大成建設(現在は明治安田生命保険・みずほ信託銀行)及びダイビルによるオフィスビル、マルイトによる「ホテルモントレ大阪」、健康保険組合連合会の大阪中央病院が建設されることとなり、平成12年6月に完成しました。
そして、平成16年10月に、第二吉本ビルディングが「ヒルトンプラザウエスト」を、同年11月に、阪神電気鉄道が、「アーバン・エンタテインメント・コンプレックス」をコンセプトに、大阪四季劇場を備えた「ハービスENT」を建設しました。そして、平成19年7月には、毎日新聞社が大阪本社ビル第U期計画として「毎日インテシオ」を、平成20年10月には、サンケイビル・島津商会が「ブリーゼタワー」を建設しました。
オオサカガーデンシティの建設にあたっては、地上の都市計画道路西梅田線の両側に幅10メートルのプロムナードを、地下空間に西梅田地下歩行者道路「ガーデンアベニュー」(延長600m)を整備し、緑豊かでアメニティ性の高い歩行者空間を実現するとともに、国際集客都市・大阪の顔となる良好な都市景観として、新しい街オオサカガーデンシティを飾るシンボルゾーンを形成しています。
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地区面積 |
約10ha |
施設総面積 |
約55ha |
施設用途 |
ビジネス・宿泊・商業・文化等の複合用途 |
容積率 |
800%〜1,200% (従前400%〜1,000%) |
従業者人口 |
約25,000人 |
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